
「Boys, be ambitious(少年よ大志を抱け)」というクラーク博士の言葉は、彼が明治10年(1877年)に日本を離れる際に述べたものだというのが有名な話であり名言となっていますよね。
クラーク博士の名前はウィリアム・スミス・クラークです。
彼は、1826年にアメリカのマサチューセッツ州に生まれました。
そして、マサチューセッツのアマースト大学で化学、動物学、植物学などを教えていましたが、やがて農業教育の道へと進んでいきます。
ちょうどアマースト大学には新島襄(同志社の創始者)が留学しており、彼の紹介によってクラーク博士は日本へ来ることになったのでした。
これが明治9(1876)年のことで、当時の札幌農学校(後の北海道大学)の初代教頭として赴任します。
クラーク博士は「少年よ大志を抱け」とは言っていない!?
教え子によると、「Boys, be ambitious(少年よ大志を抱け)」という言葉はクラーク博士が別れの際に馬に飛び乗り、そう叫んだというものでした。
ただ、全文は「Boys, be ambitious like this old man(青年よ、この老人=私のように君たちも頑張りなさい)」というもう少し長いものだったとも言われています。
色々と説はありますが、現在では「Boys, be ambitious(少年よ大志を抱け)」の前半部分だけが伝えられ、全国の少年に呼びかけるような名言として伝えられるようになっていますが、実際にクラーク博士にはそんな意図はなく、「まあ頑張りなさい」と軽い激励の言葉として残しただけだという説もあります。
今となっては、クラーク博士の本当の意図はわかりませんが、色々な説があったとしても、やっぱり、「Boys, be ambitious(少年よ大志を抱け)」とい言い残して立ち去る方が、かっこいいですよね!
ちなみに、クラーク博士は帰国後、大学設立や鉱山会社の運営に失敗し、ストレスを抱えるなか1886年に59歳で亡くなられたそうです。
クラーク博士は、生前、札幌での生活が人生で一番輝かしい時間だったと言い残しているそうです。
8ヶ月間という短い期間でも、彼にとっては非常に充実した北海道での日々だったようですね。